元祖・アラサー大学生が書きたいことを書く

思うところを気まぐれに綴っていきます

積読本が増えていくという話

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今日も多摩センターに散歩に行ってきた。

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私は本が好きだ。本を読むというのは心の栄養補給のようなものだと思う。本など別に読まなくても生きていけるが、心がどんどん乾いていくような気がする。本は乾いた心を潤し、豊かにしてくれる。

そんな私が多摩センターに行ったら丸善(東京で5番目に大きい書店らしい)に寄らないわけにはいかない。書店をまわって気になる本を見つけてしまったら買わないわけにはいかない。というわけでまた本が増えてしまった。未だ読んでない本が大量にあるにも関わらず……

すぐには読まないけど買ってそのままにしてある本。いわゆる積読本というやつである。積読本が増えていく理由は単純で、本を読むペースよりも、本を新たに買うペースの方が速いからだ。

積読本が現在何冊あるのか、正直把握しきれていない。中には10年以上前、高校生の時に買った本も含まれている。もしかしたら、この先一生読むことのない本もあるかもしれない。

でも積読をやめようとは思わない。本との出会いは一期一会だからだ。いつか買おうと思っていると絶版になって入手困難になることもある。だから取り敢えず買っておくのだ。

 

ちなみに本は図書館で借りて読めば良いと言う人もいるが、私は買う派だ。もちろん図書館で本を借りることもあるが、それは学業のための参考資料であることがほとんどである。楽しんで読むための本は基本的に購入する。本というのは凄く安いものだと思う。文庫本なら1,000円未満で購入できる。それも一度買ってしまえば何度でも楽しめる。これほど安価な娯楽は他にない気がする。

友人に、「大学を卒業して就職するときに本は全部処分してしまった」という人がいる。彼もまた本好きなのだが、とても勿体無い話だと思う。確かに本は場所を取る。だが、昔読んだ本をふと読みたくなる瞬間がある。そういう時にすぐその本を手にとって読めないのは不幸なことだ。

私には夢がある。それは書斎のある家に住むことだ。ちょっとした図書館のような部屋をイメージしている。その夢をいつか実現するため、これからも積読本が増えることを気にせず本を読んでいこうと思う。

飲食店に行くなら平日の16時頃がベストという話

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自炊するのが面倒だったので今日の昼は近所のスシローに来てみた。この文章は順番待ちをしながら書いている。

13時過ぎに到着したが、日曜日の昼過ぎということもあり無茶苦茶混んでいる。スシローは家族連れ客が多いこともあり、かなり広めの待合席が用意されていて、30人はそこに座れると思うが、立って待っている人も少なくない。

私は待つのは嫌いではないが、飲食店の順番待ちは好きではない(好きな人などいないと思うけどね)。何故なら人混みがどうにも苦手だからだ。

私が住んでいる稲城市は人口の割に飲食店が少ない気がする。そのせいなのか、土日祝日の昼や夜はどこの飲食店も混んでいる。飲食店だけでなく、スーパーや図書館など、あらゆる場所が混雑している。稲城だけでなく首都圏全体の話でも同じなのだろう。都心に行けばどこもかしこも、もっと混んでいる。

人混みが苦手な私は、ドニーチョ(土日のことだ)は基本的に出歩かない。どこへ行っても混んでいて、神経を擦り減らすからだ。今日スシローに来たのは気の迷いのようなものだ。

もし飲食店に行くなら、平日の16時頃がベストだ。理由はもちろん空いているから。平日といっても、ランチタイムや夜はやはりどこの店もそれなりに混雑する。だが、ちょうど夕食時の始まる前の16時頃はどこの店も閑古鳥が鳴いている。私はその時間を狙って行くことが多い。

もちろん、平日の昼間に勤めている人はこの時間帯に飲食店を利用することなど出来ないだろう。と言うか、そういう人が多いからこそ16時頃はどこも空いているのだ。

今は大学生という身分だから割と時間には余裕はある。いくらレポートや宿題に追われているといっても、自分のためにやっていることだからサボろうと思えばいくらでもサボれる。だからこそ空いている時間に外食をゆっくり楽しめるわけだ。だが勤め人となるとそうは行かないだろう。

人混みが苦手な私は、多くの人がしているような、満員電車に乗って通勤し、ランチタイムや夜の混雑した飲食店で食事をするしかないような生活は避けたい。と言うよりそんな生活は無理だ。人混みの苦手さだけが理由ではないが、私はそのような一般的な勤め人にはなれそうもないし、なりたくもない。

だからこそ、どうやって収入を得ていくか真剣に考えなければならないのだ。ということを考えていたらようやく席に案内された。激混みのスシローに一人で来たから当然カウンター席に案内されるものと思っていたが、なぜかテーブル席に通された。有り難いのだが、やはり待っているグループ客もいるため居心地も悪く、そそくさと食事を終えたのであった。

クラクションをむやみに鳴らすんじゃないよ!

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クラクションの音が苦手だ

私は聴覚過敏気味で、どうにも強い音が苦手です。正確には、予期せず強い音を聞くと身体に不快な感じが長く残るのです。矛盾しているようですが、大きな音で音楽を聴くのは問題ありません。(あまりにも音が大きすぎるライブ演奏とかはそれはそれで苦手)あくまで、予期せず、いきなり、大きな音が聞こえると強い不快感を覚えるわけです。

そういう私にとっての不快な音の筆頭が車のクラクションなわけです。別にクラクションを自分に対して「鳴らされる」のが嫌なわけではありません(もちろんそれも嫌だけど)。道を歩いていて、私とは関係のないところで鳴らされているクラクションが聞こえたり、極端な話、家の中にいても、家の前の道を走る車が鳴らすクラクションが聞こえたりするのが不快なわけです。

ただ不快なだけならまだ諦めがつきますが、気になるのはそれらのクラクションがほとんどの場合違法に使用されているであろうということです。

 

法律では

ここで、クラクション(警音器)の使用方法について書かれている道路交通法第五十四条を見てみましょう。

第五十四条 車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない。
一 左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で道路標識等により指定された場所を通行しようとするとき。
二 山地部の道路その他曲折が多い道路について道路標識等により指定された区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。
2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。
道路交通法より。2018年11月24日アクセス)

 第1項では警音器を鳴らさなければいけない場合について規定されています。一号と二号がありますが、要は「警笛鳴らせ」の標識がある場所ではクラクションを鳴らせ鳴らせと言っているわけです。

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「警笛鳴らせ」の道路標識

続く第2項では「法令の規定(第1項のこと)により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない」と書かれていまいす。つまり、クラクションは基本的には鳴らしてはいけないものなんですね。その後のただし書きで、「危険を防止するためやむを得ないときは、この限りではない」と言っています。危機回避のためなら許されるということです。
この道路交通法第五十四条を要約すると「警笛鳴らせの標識があるところではクラクション鳴らせよ~。それ以外の場合は原則的に鳴らしちゃダメよ。でも危険防止のためなら鳴らしてもOKやで」という感じです。

 

 そのクラクション、「危険を防止するためやむを得ない」ものですか?

私は法学部の学生ではなく、ましてや法律の専門家でもありません。なのであくまで素人の解釈ですが、上記の法律を照らし合わせて考えてみると、世で鳴らされているクラクションのほとんどは違法な使用法のものである気がします。

クラクションを使わないと避けられない危険って何でしょうか。前にいる車が急にバックしてきたとか、隣の車線を走っていた車が幅寄せをしてきたとかの状況が考えられます。そういう場合はまぁ仕方ないでしょう。

でもクラクションが鳴らされるのって、そんな差し迫った状況ばかりではないですよね。私が最近目撃した例でいうと、道路に出ようとしている車に対して、その道路を走っていた別の車が「俺が優先だ」とばかりにプップーとクラクションを鳴らして自車の存在を知らせていました。これの何がダメかって言うと、クラクションを鳴らさなくても普通にブレーキ踏んで減速なり停車なりすれば危険を避けられることだからです。もちろん道路を走っている車が優先なのは間違いありません。でも自車の進路を妨げようとする車に抗議するためクラクションを使うのは、「危険を防止するためやむを得ない」とは言えませんよね。クラクションを鳴らす余裕があるんならブレーキ踏めばいい話です。

他にも、前の車がなかなか発進しないためにクラクションを鳴らして急かすということも珍しくない気がします。鳴らしたくなる気持ちは分かります。でもこれも「危険を防止するためやむを得ない」とは言えません。

ぶっちゃけた話、「危険を防止するためやむを得ない」ためにクラクションを使わざるを得ないような状況って殆どないと思うんですよ。

 

クラクションは何故「原則使用禁止」されているのか

 別に私に限らず、クラクションの音を不快に感じる人は少なくないと思います。あの音は人の神経を逆撫でするものだと思います。その結果煽り運転等の無用の諍いの原因にもなりかねません。だから無制限に使用することを法律は禁じているんだと思います。

それから、単純に騒音としてうるさいですよね。前述のように、時には家の中にいてもクラクションの音は聞こえてきます。近隣住民の迷惑になるわけです。音というのは全方位に拡散してしまうものなので、クラクションを聞く必要のない人の耳にまでその音が届いてしまうのです。

とにかく、クラクションの音を聞きたくない

 いくらクラクションは原則的に使用を禁じられていると私が書いたところで、世の中のクラクションが減るわけではないでしょう。でも、やっぱり聴覚過敏の私にとってそれは不快なものだし、全てのドライバーが法令を遵守すれば殆ど聞くことのなくなるものだということは主張したい。いわば不埒なドライバーの不法行為によって私は不快な目にあっているのです。

むやみやたらにクラクションを鳴らすドライバーはほんの一握りなんだと思います。でも、そういう一部の人間のせいで不快を強いられているのはやっぱり納得できないですね。

ガチで記事のネタがないという話

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とりあえずネタに困ったら猫のフリー写真を使う方針。猫は正義

手詰まりです。万策尽きました。

あんまりブログネタは書きたくないんですが、ガチでネタがないので仕方ありません。現在、90日間連続でのブログ更新チャレンジ中です(既に1日休んでるけど)。しかしながら、書きたいことがなにも浮かんできません。だったら無理してブログ更新しなくて良いんじゃないかという声が聞こえてきそうですが、1日休むとモチベーションが下がることは経験済みなので何としてもそれは避けたい。

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この感じ、実験レポートで考察に書くことが何も浮かばなくて困るあの感じに似てるような気がします。目的・原理・方法・結果と書いて最後に書くのが考察です。ただでさえ文章を書くのが苦手な私です。細々とした表現方法で悩むなどして無駄に時間をかけてしまうので、考察に辿り着いた頃には精根尽き果てています。一応、申し訳程度に実験で得られた値と文献値の比較なんかを書きますが、それ以上のことはなかなか出来ません。

良いんですよ。完璧よりも最低限の体裁を整えて提出するのが大事なんですから。Done is better than perfectです。完璧主義的な所のある私は、このことに気付くにの4年もかかりました。要は大学4年目にして1年生の実験科目を履修してるってことです。2科目あるうちの1つは前期に単位が取れました。もう1科目は現在絶賛履修中です。クソ、さっさと終わらせたいぜ。

いや、基礎科学実験はまだマシな方かもしれません。何しろ4回も履修しているわけですから。他の科目のレポートなんか全く筆が進まず結局単位取得を諦めたことも少なくありません。

なんだか学業の愚痴ばかりになってしまいました。ブログぐらいは気楽にやっていきたいものですね。

地元の理髪店に慣れすぎて未だに別の店で髪を切ることに抵抗があるという話

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私は大分県の県庁所在地である大分市に生まれ育ちました。親の転勤で神奈川県と福島県にいた時期もありましたが、中1からの11年間はずっと大分で生活してました。

そんな私が中学生の時から大分で利用してきた理髪店があります。Men's ヘアー オンリーワンという店です。

10年以上通い続けているため、店員さんと顔馴染みになってしまっています。店長がとても愉快な人で、いつも楽しくお喋りして楽しい気分にしてくれます。今でも大分に帰省するたびに必ず髪を切りに行きます。

普通、店で髪をカットしてもらうときってどんな髪型にするか相談したり、見本の写真を見たりして決めるものだと思います。でも私の場合は毎回そこで切っていたので、いつしか「いつも通りで」で行けるようになってきました。

だから数年前に大分を出て生活することになったときは結構困りました。私の中で散髪と言えばオンリーワンで、他の店に行くことなど考えられなかったからです。でも髪を伸ばしっぱなしにするわけにも、髪を切るためだけに帰省するわけにもいきません。仕方なく適当な理髪店なり美容室なりを探して行くのですが、どうにも馴染めない。

まず「どのくらい切りますか?」と店員に尋ねられたときに何と答えるべきか分からない。それまで特にオーダーせずに良い感じに切っていただいていたわけですから。とりあえず「nヶ月分切ってください」と言って、 あとは店員さんの「耳にかかるくらいでいいですか~?」なんて質問に適当に答えて行くスタイルを採用しています。

それから、昔からの顔馴染みで愉快なオンリーワンの店員さんと違って、切ってる途中であまりお喋り出来ないもの寂しいですね。別に積極的に喋りたいわけじゃないんです。ただ、髪を切られてる時って他にすることもなくて所在ないじゃないですか。かと言って自分から話題を振ったりはしないですけどね、面倒臭いですから。やはりそういうのは常連客の特権なのなかと思います。いや、オンリーワンの店員さんは一見さんでもグイグイ絡んでいってるような気もしますけどね笑。

というわけで、前述のように帰省したときには必ず馴染みのその店に行きます。私にとっての心オアシスなのです。

勝手に流れるトイレが許せない

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公共施設にある新しめのトイレだと、便座から立ち上がったのを検知して割とすぐに自動的に水が流れるものがある。最近私の実家に導入されたトイレもそういうタイプだ。

それの何が嫌かって、ウォシュレットの使用を前提としていることだ。用を足した後、ウォシュレットで局部を洗い、後はその水気を拭き取るだけという場合は問題ないだろう。さすがにそのくらいの時間の猶予はある。あるいはウォシュレットの乾燥機能で乾かしてしまうという人もいるだろう。

だが、私は何を隠そうウォシュレットを使用したことがないのである。ウォシュレットという文明の利器を使わない私はどうするか。簡単である。トイレットペーパーで何度も拭き取るという原始的な方法を取る。

だが勝手に流れるトイレでは、まだ尻を拭いている途中であるにもかかわらず、無情にも水が流れていくのである。おかげで拭き終わった後にもう一度水を流すことになる。

トイレの種類によっては、タンクに水が溜まるまでそれなりの時間がかかるものもある。その待ち時間が地味に焦れったい。だって想像してみてほしい。用を足して、尻も拭いたらもうトイレに用はない。さっさと出て行きたいのである。

なのに、1度水が流れてしまったものだから、もう1度水を流すまでトイレの中で所在無げに立っていなければならないのだ。何より2回流すから水資源の無駄遣いでもある。

勝手に流れるトイレのメリットは何だろうか。考えられるのは、流し忘れ対策だ。あるいは故意に流さずに、自分の排泄物を他人に見せたがる変態対策とも言える。それはそれで結構なのだが、私のようにウォシュレットを使わない者の利便性も考えてほしいものだ。

私が何故ウォシュレットを使わないのかというと、一言で言えば怖いからだ。普段使ってる人からすれば何を言ってるんだと思うかもしれない。だが生まれてから28年間ウォシュレットを使わずに来たのだ。今更使うのは「怖い」としか言いようがない。あと感覚的に汚いような気がする。もちろん実際は不衛生ではないんだろうが。

そんなウォシュレット童貞の私がウォシュレットを使うときが来るとしたら、自分の金でウォシュレット付きトイレを購入設置するときだろう。その時はさすがの私もウォシュレットを試してみるに違いない。そんな日が来るのかは未定だけれども。

1日ブログ更新を休んでモチベーションが下がった話

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今回はただの日記です。

11月4日から18日まで15日間連続でブログを更新してきましたが、昨日更新が途絶えてしまいました。

ちょっとだけ言い訳させてください。

昨日提出の実験レポートを一昨日の夜から書き始めたものだから、一昨日から昨日にかけては一睡もせず徹夜。なんとか提出時刻には間に合いましたが、帰宅後すぐに寝てしまったので更新出来ずという感じでした。アラサーの徹夜はきつい。自分の命をガリガリ削ってる感覚が凄まじいです。いや、計画的にレポートに取りかかれば良いだけの話なんですけどね。それが出来たらこんな苦労はしません。

で、徹夜後の疲れでぶっ倒れて更新をブログ更新を1日休んでしまった感想ですが、何だか毎日ブログを更新していたあの日々が遠く感じます。書いてて自分でも大げさな表現だと思いますが、1日休んだだけで大きな穴がぽっかり空いたような気分です。たった2週間とは言え、それまで毎日ブログを書いていたという実感が湧きません。

なので正直今日もブログを書く気分じゃないんです。1日休んだだけなのにモチベーションがだだ下がりです。継続することの難しさを感じますね。

そもそも何故最近になってブログを毎日更新しているのか。隠すつもりはないので正直に言いますと、お察しのようにアフィリエイト収入が欲しいからです。本屋でたまたま見つけた「完全ひとりビジネスを始めるための本」という本を読んだのがきっかけです。

その本がいう「完全ひとりビジネス」というのがブログだったんですね。自宅にこもったまま自分一人だけで出来るビジネスとしてブログが紹介されています。正直稼げるようになるまで時間がかかるので効率は悪いと思います。でもノーリスクでできるからやってみる価値はあるのかなと。で、ブログを初めた最初の90日間は修行だと思ってとにかく毎日更新しろとその本に書いてあるので、2週間前から更新をスタートさせた次第です。

はてなブログProにして独自ドメインを取得したのはそのためです。無料のはてなブログではGoogle AdSenseに申し込めませんからね。

というわけで、まずは収益化を果たすためにまた新たな気持ちで毎日ブログ更新していこうと思います。